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7月24日(金):第七回・潜在意識は今・ここ・私〜生と死と宇宙〜
第十回福岡NLPセミナー

 <セミナー・レポート>

 3月にスタートしたNLPセミナーもいよいよ今日が10回目でラストとなりました。5か月間、めちゃくちゃ速いですが、この間は私にとって本当にいろんなことがありました。思った以上に展開したこともあれば、なかなか進展しないこともあり。それでも動けば必ず何かが変わることを実感した5か月でした。このセミナーの参加者の皆さん、本当にどんどん変化していった人もいれば、そうでない人もいるかもしれません。それでもともに学んだこの5か月は、参加者に皆さんにとって「記憶」に残る1ページになれば嬉しく思います。

 さて、今日のセミナーですが、「潜在意識は今・ここ・私〜生と死と宇宙〜」という何とも怪しげなタイトルだけ決めて、実は当日まで何をするか決めていませんでした。これまで勉強してきたこと、また、付け焼刃に新しいネタを仕入れてもどうかと思ったので、最終回は私らしいやり方で締めくくることにしました。

 それは「滝」の中でリソースを拾ってくるやり方。今朝、7時前にいつもの不入道(滝場)に入ります。そしてまずはお堂でご本尊にお参り。それから般若心経を21巻、それから滝に打たれてそこで7巻。それから再びお堂で21巻、滝で7巻、お堂で21巻、滝で7巻、お堂で21巻、と合計105巻般若心経を唱えました。7時からスタートして、不入道を後にしたのが11時前でしたので、だいたい3時間ほどで終了。3回の滝行と100巻の般若心経をセットにするプログラムでした。いったい何がやりたいのか自分でもわかりませんが、とにかくやりたくなったのでやっただけ。

 その結果どうなったか。その「行」が終わって家に帰ってから、小一時間横になって休憩。それから突然、「資料」を作り始めたのです。実は最終回は何も持たずに「無意識(潜在意識)」にお任せして臨もうと思っていました。ですが、突然のこと、急に「資料」を作り始めてしまったのです。つまり今朝の「行」のおかげか、私の中でセミナーのメニューが急に降りてきたのです。

 今朝は天気が悪く、お堂に入っている間も、滝に打たれている間もずっと雨が降っていました。心なしか雷の音も聞こえるような気がします。絶対にあり得ない話なんですが、ふと「ここで雷に打たれたらどうしよう」なんて思いがもたげてきました。昨年の宝満山でのトラウマでしょうか。実際、雷も鳴ってませんし、周囲には高い木々がたくさんあります。金目のものを身に着けているわけでもありません。打たれることはあり得ないのですが、もしもここで雷が直撃したら、、、と考えたとき、真っ先に思い浮かんだものがありました。それは、

「ちびQ」

です。ちびQとは言うまでもなく、2か月前に生まれた私の息子のこと。ここでもしも私に万一のことがあったら、残された「ちびQ」はどうなるのだろう。そんな意味で思い浮かんだと思ったのですが、同時にまた別の意味があることにも気づきました。人は死ぬ直前、何を考えるでしょうか。かつての日本兵は「天皇陛下万歳」と言って死んで行きました。イスラム教徒ならばアッラー、キリスト教徒ならイエスや天使、またはゴッド。ご先祖様という人もいるかもしれません。つまり自分自身を絶対に守ってくれている存在のことを思うのではないでしょうか。

 となると、断末魔に「ちびQ」のことを思うのは、それとは一見矛盾するように思います。ちびQは私を守る、というより私から守られる存在です。ちびQの本名は「滉(あきら)」と言います。ですが、断末魔に「滉」ではなく「ちびQ」という言葉が出てきたこと、これに意味があるのです。

 つまり実体としての「ちびQ」は家にいる「滉」のことですが、概念のとして「ちびQ」はそれとは同一ではありません。それは私の内なる存在、スピリチュアル系のいい方をすれば、「ちびQ(概念としての)」とは私の「インナーチャイルド」だったのです。

 人間の意識階層には大まかに4段階あります。それは「意識(顕在意識)」−「無意識(狭義の)」−「潜在意識」−「超意識」です。「無意識・潜在意識・超意識」をまとめて「広義の無意識」と私は定義しています。それぞれに対応するものを、簡単にまとめるとこうなります。

・意識(顕在意識):思考・言葉
・無意識(狭義の):反応
・潜在意識:プログラム
・超意識:本能・本質・魂


 無意識の「反応」はいきなり目の前で手を叩くと目をつぶるようなこと。単純反応です。潜在意識は過去の体験・経験によってプログラミングされた、その人の蓄積的な反応と言えます。人前で話をする時に委縮する人は、それは過去の体験・経験によってそのようなプログラムができたからそう反応するのです。世の中には全然緊張しない人もいますから。そして超意識とは、その人の生まれ持っての本能、本質、そして魂のことを言います。これは絶対的に自分を守ってくれます。火事場のクソ力(KDD)と呼ばれるものは、超意識の働きによります。

 そして人は意識せずとも「超意識」に対して絶対的な信頼をしています。その信頼は、
例えば宗教的な信仰や、ご先祖様への気持ちとして象徴されます。つまり「神」「アッラー」「天使」「ご先祖様」などは、「超意識」を擬人化した存在だとみなされます。「神」が自分自身から独立した、外部の存在として在るのではなく、神とはまさに自らの内面に常に存在しているものなのです(「宇宙霊」(中村天風)、「内在神」(伊勢白山道)、ハイヤーセルフなどもほぼ同義)。

 では「インナーチャイルド」とはどこに属すものなのでしょうか。私の理解では「潜在意識」と「超意識」の間にあるものだとしています。つまり、自分自身の「本質」的な部分でありながら、幼少期からの体験・経験にも少なからず影響を受けている存在です。ここで「インナーチャイルド」に対する、一般的な定義をしておきます。

 インナーチャイルドとは、文字通り「内なる子ども」の部分であり、誰もが子供時代を経験している以上、それは備わっています。つまり、36歳の自分の中には0歳の自分、5歳の自分、10歳の自分、15歳の自分、それぞれすべてが内在しているのです。

 例えば生まれたばかり(0歳)の時、親から「また、女の子か」と言われたとすると、その言葉は今の自分と決して無関係ではありません。0歳の子どもも、その「言葉」を親の「感覚・感情」を通して記憶しており、それが今の自分にも残っています。もしも「また、女の子か」という残念そうな声を聞いてしまったら、その人は大人になっても、女の子である自分、さらには自分の存在そのものを否定するような行動に走ってしまいます。

 また、例えば5歳の時、親から無視されていたとします。するとその子どもは「自分は無視されるような存在なんだ、無視されることでこの家族でいられるんだ、だから無視されるような人間になろう」などと極端な感情を持つ可能性もあります。その5歳の体験は、当然、今の自分の中にもあります。

 そこで一般に言う「インナーチャイルドの癒し」とは、今の自分にとって望ましくない状況を改善すべく、その当時(子ども時代)の自分に出会い、そこで親の真意を知ったり、自分自身が決して否定されるような存在でないことを発見することで、子ども時代の自分(つまりインナーチャイルド)が癒され、そして今の自分も同時に癒されるのです。しかしながら、インナーチャイルドはそもそも自分を守るために存在していることを忘れてはならないし、そして自分の本質的な姿をも映し出すものなのです。

 「ちびQ」の話に戻りますが、それは実体としては私の息子のことです。同時に「概念」としてはまさに「インナーチャイルド」であり、現実に親と完全に分化されていない息子と、私のインナーチャイルドを重ね合わせた言葉だったのです。そして今、現実のちびQに対しては、まさに自分自身を投影してしまいます。子どもへの愛とは、それは同時に内面的な自分自身への愛なのかもしれません。少なくとも一定の年齢までは。

 と言うわけで、今日のセミナーでは、NLPの真骨頂とも言える「タイムライン・セラピー」を、「インナーチャイルドの癒し」にミックスさせて行うことにしました。その前に、究極の真髄。一瞬にしてハッピーになる術をワークします。一瞬にしてハッピーになるには。それは一言で言って「今・ここ・わたし」に対して、完全なる「感謝」を捧げること。そもそも不幸とは何か。それは「過去に対する後悔」「未来への不安」「移動する、変化することへの恐怖」そして「他人が自分の思い通りにならない苛立ち」から来るものです。つまり、

 「過去・未来−そこ・どこ−あなた・彼・彼女」に対する「不幸」がすなわち「不幸」の本質なので。それは同時に「幸せ」の本質とも言えるのですが、人は少なからず「過去・未来−そこ・どこ−あなた・彼・彼女」に対して「不幸の種」を植え付けています。しかし、重要なことは「過去・未来−そこ・どこ−あなた・彼・彼女」は、「意識」によって構成される世界であり、つまりは架空・ファンタジーなのです。

 過去の記憶、未来の想像。これらは「意識」によって創られたものであり、リアルな現実ではありえません。そこやどこ、と言った場所的な概念もすべて空想の産物。そして自分以外の他人は、永遠に自分にはなり得ません。自分がこうだから、おそらく他人もこうであろうと言う、現象学的な妥当性によって存在しているに過ぎません。つまり「過去・未来−そこ・どこ−あなた・彼・彼女」は完全に架空の世界でありますが、では、架空でない世界、つまり「現実」とはいったいどこにあるのでしょうか。それがまさに「今・ここ・わたし」なのです。

 「今・ここ・わたし」だけが、今の自分にとって実感できる現実世界です。そして過去も未来も、そこもどこも、あなたも彼も彼女も、すべて「今」と「ここ」と「わたし」の延長上にあります。原点はまさに「今・ここ・わたし」なのです。そして不幸な人の多くは、過去を後悔しています。未来を不安に思っています。それはつまり「今」この瞬間に意識を向けてない、さらには「今」この瞬間に対する「感謝」の気持がない状態なのです。不幸な人の多くは、変化することへの不安を抱いています。焦点を合わせているのは、ここではないどこかです。つまりこれも「ここ」に対する意識がない、「ここ」への「感謝」がない状態なのです。さらに不幸な人の多くは、他人への苛立ちばかりにフォーカスします。自分を顧みることなく。それもまた「わたし」に対する意識がない、「わたし」への「感謝」がない状態なのです。

 ここで、もしも「不幸」な状態から、オセロをひっくり返すように「幸せ」にするにはどうすればいいか。それがまさに「今・ここ・わたし」に「感謝」することなのです。私はしばしば「感謝」しすぎて涙がでることがあります。昨日もマンションの一階で、ちびQを抱きながらイスに座っている時、今この瞬間に対する「感謝」の念がどわ〜とあふれて涙が出そうになりました。この時思います。「俺は世界一幸せな男だ」、と。

 もしもハッピーになりたいのであれば、これが究極です。そしてそもまた「習慣」によって実現できます。「今、何に感謝していますか?」という質問を繰り返すこと。そこで涙が出るくらい「感謝」の気持ちが出てきたら、その瞬間、世界はすべて幸せ一色になるのです。

 この後、いよいよインナーチャイルドのワークに入ります。エレベーターでどんどん過去へと進んで行きます。そして生まれたばかりの自分に出会うところからスタート。エレベーターを登るにつれて、インナーチャイルドとしての自分の姿がどんどん見えてきます。その瞬間、その瞬間、その時々に必要な「言葉」をインプットしていきます。そして現在に戻ります。

 今日はこの後、さらに未来にも行ってきました。「死の直前」にまで進みます。人は「死」を意識した時、本当の力が出ると言われています。巷では「遺書キット」なるものが売れています。一か月で一万部も売れたそうです。それはまさにいずれ100%訪れる「死」の準備をすることで、まさに「今・ここ・わたし」への「感謝」を実感するのです。遺書キット、、、まだ購入していませんが、近いうち入手しようかと思います。こんなことを言うと、誤解が生じるかもしれませんが、そのキットが用途を満たすのは、もちろん何年も先の話です。しかし「死」を意識することは、同時に「生」を極限にまで意識し、感謝することにつながります。

 今日は最後に私の好きな「詩」を二つ絶叫して、最後に参加者の言葉で締めくくります。これにて3月からスタートした全10回のNLPセミナーが終了しました。これからもリニューアルしながら、また、どんどんやって行きたいと思いますし、さらに再び全国行脚を開始する準備ができたようです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

<参加者のご感想ブログ>

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